CAT POWER/I FOUND A REASONを聴きながら


CAT POWER/I FOUND A REASONを聴きながら ◆


〜もう行きなさい、SEが鳴り止んでしまう前に〜



  「イキたかった理由がわかったのよ。そう、イキたかった理由よ。」と、女の声。濡れている

べき肉厚の部位は、異物との接触がなくなったことで水分子も含まず、呼吸のための通気孔と

なった器官から渇ききった声が聞こえてくる。肋骨をかたどったにすぎない僅かばかりの胸腔

が、カテーテルに突き刺されたまま、決して自分の挿入口が拡がっていくユーフォリアを感じ

ない宙ぶらりんの生。感覚網が消えるまで草が溶けるのを舌に任せて、唾液が一方的に減り行

くのを待つ砂時計の死。生の輪郭に内接する死の影が徐々にその力を外部へ向け、其々がせめ

ぎ合う摩擦音のような女の声が、摩滅していくままに聞こえてくる。それは数値化されて波打

つドットの集合になり下がり、ヘッドフォンを装着して遊戯のように弄ばれる擬音ではなく、

ワンクリックで、最大多数の耳に即応する事を意図して、ある特定の周波数帯を強調して裏返

した奥行きでもない。勿論、需要創出効果を謳い、廃絶されることを目的にばら撒く乗数効果

ゼロの景気の下支えにもならない、不燃物にパッケージングされた真空の音でもない。生きた

肉体を持つ者にだけ与えられる純粋な、言葉以前の始原的な震え。内奥、その最も静かなもの

から始まり、先端、その最も主張するものへと続く震え。もはやそれ自体が、盗作の倒錯とし

て在るだけのモンタージュ写真には決して写らない声帯の肌理によって生み出される間隙。そ

こから、空間を探しあぐねた和音が凝視できる速さで、閉じた暗がりに飽和しながら、沈黙の

果てまで届く響きでもって零れ落ちてくる。





生命の均衡を維持していた水、もしくはそれを介在するモノの喪失により、この世とあの世が

互いに侵食しあい、其々を区別する術を失ってしまったのか。それとも境界など最初から、先

行する連関性のために過重に付与された概念の中でしか存在しないのか。でなければ、女には

瀕死などではない確固たる死の記憶があるのか。女の声は絶対的に死んでいる。そして絶対的

に生きている。その二つは相反するという概念自体が誤りであるかのように、事象が共に真の

まま実現して、女の声は両方を知っている。重いにも軽いにも平衡すべき天秤が釣り合いを拒

む多元的に浮遊した世界に、その声は何よりも時と共に在りたいという願いの重さで打ち震え

ている。「肉」を荼毘に付し終えた後の「心」の残り火のように。「死の夢」を還元して「瀕

死」ならば、震えているのはあくまでも、収斂する感覚。一方、「死の夢」を還元しても「死」

ならば、震えているのは片回りで循環する∞の形象。だが女は、そのどちらでもない還元がで

きない「死」そのもの、他の何かとの比較で浮かび上がるような生易しいものではない根源的

な「死」そのもの、それがあらかじめ自分の遺伝子に書き込まれて いたかのように震える。

生に在りながら震える。声を相殺することなく零れ落ちてくる和音は、声と重なり合いながら

も独立した響きを保持している。勢い空間に在りながら、消滅するまで何ものにも阻害される

ことなく沈黙に帰る。構成音の配列は最小単位でなされるため、どちらが高音でどちらが低音

かを隔てることができない。ただ、そのために和音の結晶の一粒々々には全く歪みが無い。色

の付いていない空に、最もその輪郭を浮き立たせているのは、光の点いていない只の小石。

それは存在するだけで認識し損ねた死の瞬間を瞬くべきもの。客観的世界においては、究極的

に追及し続けるべきものであるが終に瞬くことはなく、模倣で瞬いたことにしておくもの。やが

て、光って見えなくても、光っていることに気付いた世界のブレーカーは否応無しに落ちていく。





女は問いかける。光源の落ちてしまった救急病棟の一室で震わすに足るものは何かと。鎮静剤

の眠りから至近の死を眺めるだけの遠隔の生?誰が動かしているのかも断言できない、身体の

外に孤絶した心臓?自らが自らであることから遊離した生が、なおも分泌を止めないその体液

は、何が垂らしているのか。それは、生への執心が凝結して融解したからであると仮定したと

ころで、証明するには影は形もなさない。いや、その仮定が誤りであると験す事が不可能であ

る。しかし逆説的に言えば、生を生きている者、自らが自らであることを肯定できる者が分泌

する体液ならば、「何故」という問いに対しては、類似の経験によって「なぜなら」は容易に

導かれる。例えそれが睡眠中に生じるもので、それを照らし出す光が存在していなくても、前

者と比較すればその「なぜなら」は圧倒的に高い蓋然性をもつ。女の生に在る、その証明の絶

望的なまでの不可能性によって、女が生きているのが生とは異なる相、その容易さとは全く別

次元であることが了解される。女は平らになり行く、心拍を微動するグラフの波形を音律とし

て、自らの心臓に紙を切り抜いたような手のひらを静かに押し当てている。余人からの手つき

で自らを看取るように。コード感は希薄になりながらも、和声は保たれているので音楽は保証

される。それが、人が成熟(生の成就)しきったものからだとしても。そして「あなたの見て

いるもの全てを私は信じるわ、本当に、本当に(I do believe in all the things you

see.)。」とあなたの目にするものへの愛惜の念を示した言葉が、震えから生まれる。直後、

「もう来てしまったことよりも、これから来ることがいいのよ(what comes is better than

that came before.)。」と次のあなたが目にするものを見据える振りをしてしまう。白く透い

た花が女の肌と何の違和も無く開き、黒い水として女の髪は水面に艶めいて映しだされている。

花は確かに、水は朧げに。そして、あなたとあなたの死、あなたのままでいるかあなたを止め

るか、女はその距離に在って震える。既に心臓は何も送り出していないのだが。





見てくれる人が誰も存在しなくなった女の次の世界。女が映っていないあなたを幾度となく殺

めてきたつもりだったが、二度と生き返ることの無い方法が終にはわからず、しかしこれこそ

が唯一の方法であったとは、女はもう思い出すこともできない。そこではテープレコーダーだ

けが回り続け、マイクは地上に立てっ放しにされている。マイクの集音範囲の極限と、声の伝

達範囲の極限が接する時、「震え」が臨界を共鳴させ「歌」になり、「歌う」と「聴く」は、

その特定性の有無に拘わらず、因果関係であると捉えることのできる強度で自由に往来する。

つまり天上と地上の間を。但し、見られることで初めて在りえるはずだったが、見られなくて

も存在してしまった女の顔。その事実に対して無力であるままに、その視界が残されている。

ただ、女自身の表情は必要でなくなり、その一つ一つが少しうつむきながら、滴を地上に零し

続ける。滴は、誰かが濡れたからといって、誰かが濡れなくてもいいということのない物性を

備えている。誰の滴でもありながら、誰の滴になることもない。それは生まれてしまった者で

ある以上、不可避であるが故に。そして観念に取って代わった「あなたの見るもの全て」を

震わせることを止め、「私の見るもの全て」を震わせ始め、女もまた観念となっていく。尾

を引いたまま最後に言い放たれる「走った方がいいわ。私の方に走りなさいよ。来た方がいい

わよ。私のほうに来なさい(You better run. Run to me. Better come. Come to me.)」という

生前の言葉は、辞世となったことでその意味が大きく変質する。「生きなさい、逝きなさい、イ

キなさい。」無音の残響は、女の瞳が摘み取られるまで終わらない。



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